2010年1月31日日曜日

車遍歴

今日は単純にこれまでに乗った車の歴史。数えてみたら約10台。途中、レンタカーなどとにかく一定時間以上乗った車はさらに10台くらいかなあ。
①ブルーバードU:父から譲り受けたもの。#91-87.シルバー。パワステなんてなし。重いハンドルでマニュアル。遠征先でトランクのキーの部分がボコッと外れたことがあった。
②ミラージュⅡ:赤の新車。叔父に世話してもらった。初売りで買ったゴールドのアルミホイルを履いていた。#89-98.これも遠征先で友人が運転中に高速で故障したり、トンカツやの駐車場で街灯にぶつけられたりでいろいろ大変だった。でも学生時代はほとんどこれで過ごしたのでいろいろと楽しい思い出は結構多い。
③セリカ:初のスポーツタイプで仕事を持って初めて自分で半分以上出して買った。#10-20.メタリックグレー。いわゆるretractable headlightで当時としては結構最先端だったなあ。 ④アコードワゴン:これからホンダ時代に入る。ワインレッド。#14-75だったかな。しかし佐賀ナンバーであった。娘は赤ん坊でチャイルドシートを助手席に付けていた。
⑤vita:家内の車。グリーン。#覚えていない。48-・・・だったような。小回り利いて結構重宝していた。
⑥Accord :アメリカ時代の中古。前任者から受け継いだもので左ハンドルのマニュアル。そこそこ慣れるのには時間かからなかった。乗り心地もまあまあ。ドライバーズライセンスも取ったなあ。
⑦Protage:アメリカ時代の家内用。オートマだったけど、なんか音がして最後までやや不安だった。でもこれで最長ドライブ(ミネアポリスまで)に出かけた。冬はこちらがスタッドレスだったのでむしろアコードより安心感があった。
⑧アヴァンシア:#67-60.パープル。帰国後からだからもう結構乗ったことになる。ワゴンで広めなのでそこそこ気に入ってはいる。走りとしてはぬるい。
⑨フィット:シルバー。帰国後の家内用。特記事項なし。
⑩プジョー370:メタリックブルー。家内用。走りは安定している。
レンタカーはやっぱりアメリカでの1Boxシリーズが運転してておもしろかった。

2010年1月30日土曜日

信号機

最近家族で車に乗っていてよく話題にするのが、赤信号になっても突っ込んでくるドライバーの増加である。たしかに調子よく走ってきて、手前で黄色に変わったら、なんとか通過しようとする心理は働く。ふつうほとんどの人がそうであろう。しかし、それも度を超すといかがなものかと思う。現在の日本の交通システムは、信号が赤から青に変わるまではさすがに見切り発進をする人が少ないことと、停止した状態からのスタートなので車の移動距離が制限されているという点にかろうじて支えられている。さもなくば、今の黄色から赤信号での突っ込み事情では重大事故続出である。最近では公共交通機関のバスまでもが”こりゃー絶対赤だろう”なんてタイミングで加速して突破してくる。ググってみると、現在の信号機はコンピュータ制御により”スプリット”や”オフセット”とよばれる調整がなされているようである。しかし、この赤突っ込みは制御の仕様がない。かく言う自分もそれに近いことをしている時もあるのであまり大きな声では言えないのであるが、明らかに悪質なものはこれこそ取り締まるべきであろう。交通量が明らかに少ない天候のよい昼間に携帯使ってたと言って、陰でチェックしてその先で網張って捕まえるなんて極めてナンセンスな行動である。公安よ、もっと見るべきこと、改善すべきことを認識せよ。

2010年1月27日水曜日

お使い

以前、豆腐屋さんのことを書いたけど、当時(小学校低学年ごろかな)、豆腐以外にもお使いでよく買いにやらされたものがあった。ひとつは”塩”。当時、塩はたぶん政府の管理下にあり、塩の販売ができるのは特定の店舗に限られていたように思う。(思い出した!専売公社の管理下だっ。)10円か20円を握らされて、そうだなあ、家からおよそ200メートルくらい離れたところにある交差点角の店に買いに行っていた。今はもうそこの交差点にあった歩道橋は無く、店の面影もない。塩はビニール袋か茶色の紙に包まれていたように記憶しているが定かではない。塩のほかでは糊も確か買いに行ってたような気がする。これは今でもタバコ屋さんとして残っているお店だが、そこでビニール袋にパックされて、コンニャクみたいにボテっとしてヒンヤリした、いわゆる昔の白い不易糊を2本買っていた様な記憶がある。この糊は薬局のサービス用マッチのレッテルを貼るのによく使っていて、レッテル貼りはお手伝いでやらされていたけど、あんまり好きじゃなかったなあ。そのマッチは珍しく両面に擦る部分が付いていた。レッテルもオレンジ色の下地に白の絵と文字が描かれていて、今思えば結構シュールなデザインだった。ほかにもいろいろあるけどまたの機会に。

2010年1月24日日曜日

ハウステンボス問題

ハウステンボスの存続問題の決着がまだついていない。長崎にとっては象徴的なテーマパークであっただけに、存続不可能となると、その影響は甚大なものになると予想される。テーマパークとしての基本コンセプトがTDLとは大きく異なることと、地理的立地条件、経営努力の不足など、行く末はある程度予想できていたものと思う。私、個人的にはやはり存続を切に希望するし、HIS、福岡財界のサポートを是非お願いしたい。しかし、何よりも重要なのは、実際の経営スタッフと地元住民、長崎県民全体のモチベーションをあげて、本当の意味で再生へ向けての努力をすることが何より基本であろう。一県民として、考えていることを少しだけ提言したい。
 とにかく、今後の経営の基本コンセプトを明瞭にすること。当然シンプルでインパクトの強いものがよい。残念ながらカジノはだめだったので、それに代わるものがいる。東アジアでの位置づけを前面に出すのか、単なるリゾートだけでは進歩がない。とにかく、その辺のアイディアをひねり出す企業努力が今まで行われていたのかどうかが甚だ疑問である。会議をのぞいてみたいものである。

 ひとつ考えているのが、環大村湾全体をリゾート圏とみなし、その中心にハウステンボスを持ってくることである。そこでのキーワードは環境、エコ、医療リゾートそしてマリンレジャーである。環大村湾にはいろんな自然と史跡がある。それを太陽電池をふんだんに使った移動方法(主として海上移送)で様々なコースを作る。釣り、マリンレジャー、温泉、ゴルフ、少し範囲を広げて佐世保、波佐見地区まで巻き込んでもいいかもしれない。今後、折に触れて、各論について書く予定である。

2010年1月17日日曜日

長崎路面電車考

いつも行く散髪屋のおやじさんとの話の中でたまたま電車のことについて出てきたのでちょっとだけコメント。チンチン電車と長崎は切っても切り離せない関係で、長崎人の心の故郷といってもいいくらいだと思う。記憶の中で古いところでは、子供時代に外を向いて座席に乗って街並みを眺めながらよく母たちと浜の町に行ったこと。当時はまだ車掌さんがいて、天井のひもをひっぱって”チンチン”と鳴らす姿があった。料金もたしか大人30円、子供15円で、両替は白い少し透けた紙(トレーシングペーパーみたいなやつ)でできた小さな袋であった。今でも現役じゃないかと思うけど、小学生のある日207号車に乗った時、座った感じがものすごく柔らかくフワフワで、またこれに乗りたいなと思ったけど、それ以来今まで乗ってない。宇都宮浄人著”路面電車ルネッサンス”によると、長崎の路面電車は国内で唯一、小さいながらもネットワークを持ち、利便性の高いドイツ型に分類されるとのこと。たしかにほかの都市と比べるとそんな印象がある。先日とうとう100円時代が終わったが、これも仕方ないことであろう。しかし、まだまだ改善点はあると思われる。以前から思っていたのは、なぜ料金前払いにしないのかということで、このために特に混雑時の降車の際の問題が生じていると思われる。おそらく観光客の皆さんは困惑することがあるのではないかと思う。最近プリペイドカードが使えるようになってむしろこの問題が複雑化した。統一するとしたら、乗車はすべて前乗りで現金の人は前払い、カードの人はワンタッチで支払い終了となるシステムとするか、乗車時のカードタッチを乗車直前にホームに設置した検出器に1回目、運転席横の検出器で2回目を済ませる。降車はすべてのドアから可能とし、降車終了後に乗車とする。結局時間的には同じだと思うし、車内の混雑緩和にはむしろこちらの方法がいいのかなと思います。後払いは長年のシステムなのでいまさら替えづらいかなあ。やっぱり長崎の顔だから、いろんな意見の吸い上げや広報活動をもう少し充実させて、さらなる改善にもう少し積極的になってもいいのかも。

2010年1月16日土曜日

雪の思い出

先日、久しぶりに結構な雪が積もった。最近寒い日が続いていたので、そろそろ来るのかな、と思ってたら、長崎で9㎝の積雪。おそらくこのレベルの降雪は2001年の3月以来じゃないかな。このときはちょうど留学先から一時帰国した時で、3月だったんだけど、季節外れの雪で、シカゴから雪を連れてきたんじゃないのか、なんて言われた。今回の長崎は2日間の降雪だったけど、1日目はまよわず徒歩にて通勤。約1時間かかった。2日目はバスでラクラク通勤可能だった。雪といえば南国長崎、それほど多くの思い出はないんだけど、子供のころはまだ毎冬数回以上は積雪してたと思う。楽しく遊んだのはいいんだけど、よく霜焼けになってた。まだあの痛がゆい感じはよく覚えている。実家には痛くて泣いてる姿の写真があったと思う。そのほかでは、やはりオマハでの雪が印象深い。なんせ真冬はbelow zero(-30°以下)なんてことがあるくらいだった。根雪が残って、道路わきに連続する除雪でできた雪山は圧巻だった。冬支度で特に重要なのがタイヤの履き替えで、車2台のうち1台はスタッドレス、もう一台がスパイクだったけど、いつもオークビューモールにあるタイヤ屋さんで替えていた。2年目の冬のときは交換に行くその運転中に恐ろしく雪が降り出して、異常に焦ったことを覚えている。オマハ時代の車の話はほかにもあるので、またの機会に。

2010年1月11日月曜日

ビーフジャーキー

 昨年末に自宅の部屋を掃除していたら、なんと、2001年に購入して日本に持って帰ってきてたビーフジャーキー(BJ)を発見してしまった(写真)。留学中には近所のAlbertsonでよく買い物してた。BJもよく買った商品のひとつで、懐かしい。ほかにはカット野菜の袋詰めや、ミルク(標準サイズは1ガロンかな、でもできるだけ小さいのを買ってた)。ベーグルなどなど。文房具や衛生用品もいろいろ変ったものがあって、みて回るだけで結構楽しかった。家族ではほかにTarget, K-mart, Bakersなんかもよく行った。Bakersは地元資本のストアで、置いてあるものはむしろ新鮮で食材はここで買うことが多かった。見るもの、聞くもの、いろんなものが合理的でこじゃれた感じに見えて、”あー、アメリカっていいなあ”とか思ってた。
 今でこそその思いは残ってるけど、それは表面の一部を見てただけで、その後年を重ねるほどにいやな部分、問題点もある程度理解できるようになってきた。自身の留学中にはブッシュ大統領誕生や9.11.があり、ある意味歴史的な時期にアメリカに住んでいた。思えば、確かにもしゴアが大統領になってたら、世界は今どうなっていたんだろう。ほんと、世界は、そして人類、地球は今後どうなるんだろう。いろいろ考えたら、自分みたいな一介の日本人、結局は家族を大事にして日々を幸せに暮らすことが精一杯なのかな。でもその幸せってなんだろう。日本人に生まれたからこんなことも考える機会があるのかな。などなど思いは尽きない。結局よくわかんない。BJは捨て切れずにまだ持ってます。これを何の未練もなく捨てられたら、少し自身の考え方も進化したことになるのかなあ。

2010年1月9日土曜日

箱崎おいしいもの

前回豆腐の話を書いたとき、玄海嵐が出てきたので、つい九大時代の食生活について書きたくなった。時は1991年。まだ日本がいろんな事に前向きで元気のあったころ(というか、バブルか)。当然まだ独身であったので、ラボの学生や企業から来ていた同年代の研究生なんかとよく食事に出かけた。この期間は、厳しい指導者の下で日々研究に没頭していたので、合間の食事の時間が貴重な息抜きであり、よって、できるだけおいしいものを食べたいという欲求があった。修士のT.K., O.Hの2人がまた若いくせに(といっても僕と2-3歳くらいしかかわらないんだけど)結構舌が肥えてて、おかげでいろんな箱崎グルメを堪能させてもらった。先に出てきた玄海嵐には全部で4種類くらいの鍋があって、特に秋から冬にかけてはしばしば訪れた。湯豆腐以外がなかなか思い出せないけど、アルマイトの鍋で出てきておいしかった。それから九大生御用達の犬丸。初心者お断りなので、2回ほどだけだったけど、彼らに連れて行ってもらってよかった。まだあるのかなあ。それから帰郷(と書いて”かいきょう”と読む)。在日中国人家族がやってる店で家庭中華といった感じ。餃子がおいしくて、焼き餃子と水餃子は必ず頼んでいた。3年ほど前に箱崎界隈を訪れた時、場所が変わってたけどまだやっていたので思わず入ってしまった。懐かしかった。地下鉄箱崎駅前に出てた中華の屋台。多分”ワンシャン”という名前だったと思う(書きながら思い出した、王香だ!)。月に1回は4-5人で訪れた。ちゃんぽんがおいしかったなあ。主人は飯塚から来てるとのことだった。白い犬がいつもつながれていたように記憶している。それからサヨン食堂。ここの焼きドン(焼肉丼)がHugeで、完食したことは何回もなかったように思う。たまに、贅沢して焼肉屋に行こうものなら、O.H.なんて、”カルビ1枚で白飯2杯はいけますよ!!”なんて言ってたのが懐かしい。大学構内の六角堂にもよく行ってた。量は少なめだけど、こじんまりとこじゃれた感じで、雑誌のサライの感覚(実際サライが置いてあった)。などなど他にもまだあるんだけど、今日はこのくらいにしておこう。写真は娘作の野菜たっぷりスープです。

2010年1月7日木曜日

豆腐の話

村上朝日堂的に今回は豆腐の話。確かにいくつになってもいろんな意味で飽きずに食すことができる食べ物の1つである。好きな順にあげると、湯豆腐、冷奴、おでんの厚揚げ、普通のみそ汁の絹ごし、すき焼きの焼き豆腐、ってな感じだろうか。湯豆腐はやっぱり、嬉野の温泉湯豆腐でしょう。村上春樹さんは食べたことがあるのかな?それから九大に行ってた時、ラボの若手と時々行ってた箱崎界隈の玄海嵐(だったと思う)の湯豆腐鍋もおいしかったなあ。逆に揚げだし豆腐はおいしいんだけど、あぶらっぽいのが豆腐にマッチしない気がして選外。最近は豆腐と言えば男前シリーズが流行りのようで、確かにおいしいけど、なんか出来すぎな感じがしてノスタルジックな気分には浸れません。近所の豆腐屋さんに朝から30円位を握って一丁買いに行ってた頃がやっぱり懐かしい。今でもおぼろげながらその豆腐屋さんの店構えやお兄さん(息子さんだったのかな?黒ぶち眼鏡でなんとなくインテリっぽく見えてたのは気のせい?)は覚えている。いつのまにかその豆腐屋さんも無くなって、そんな経験もできなくなった。

2010年1月4日月曜日

冬のスポーツ

残念ながらサッカー国見、ラグビー南山どっちも負けちゃった。国見は小峰イズムから脱却し、新生国見としてかなり期待していたんだけど、結構やられちゃったなあ。やっぱりもうひとこえレベルアップしないと全国の壁は高くなったのかな。まあ、次に期待しましょう。箱根駅伝は4年前ごろからようやく楽しめるようになってきた。今年は劇的ドラマがやや少なかったけど、それなりにストーリーになってておもしろかった。アメフトは真剣には見てなかったけど、劇的FGだったそうで、あとでNCAAのボールゲーム結果をフォローしなければ。

2010年1月3日日曜日

先月の読書History

今年から月1回、前月の読書歴をアップして行ってみようかと思います。どのくらい続くかわからないけど、まあ、やってみます。
ちなみに2009年12月の私のBook of the Monthは 「赤ひげ診療譚」、2位が「考具」 でした。

12月の読書メーター
読んだ本の数:12冊
読んだページ数:3116ページ

ムーン・パレス (新潮文庫)ムーン・パレス (新潮文庫)
月を背景にいろんなことがつながって行くところに一気に引き込まれる。柴田元幸氏の訳も秀逸。
読了日:12月31日 著者:ポール・オースター
雑草のはなし―見つけ方、たのしみ方 (中公新書 1890)雑草のはなし―見つけ方、たのしみ方 (中公新書 1890)
普段何気に通り過ぎていた道を違った目でみるようになります。
読了日:12月27日 著者:田中 修
誰が日本の医療を殺すのか―「医療崩壊」の知られざる真実 (新書y)誰が日本の医療を殺すのか―「医療崩壊」の知られざる真実 (新書y)
読むたびに憤りを感じる。
読了日:12月24日 著者:本田 宏
考具―考えるための道具、持っていますか?考具―考えるための道具、持っていますか?
幾つかの考具は知らず知らずに今までなんとなく使っていたようだけど、改めて理解できた気がします。役に立つと実感します。ただ、確かに実行に移すことが最大のポイントかなあ。
読了日:12月20日 著者:加藤 昌治
まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)
わかったようでわかってない、でももう少し理解したいという人向けかな。一気に読めるので、ある程度全体の輪郭がつかみやすいと思いました。
読了日:12月19日 著者:山井 教雄
新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)
5編各々が、また全体のつながりがまさに新釈。走れメロスの展開にはナンセンス時代の筒井康隆的ノリが多分に感じられます。影響受けてるのかなあ?
読了日:12月14日 著者:森見 登美彦
探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子 虎の巻 (ポプラ文庫)探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子 虎の巻 (ポプラ文庫)
番組の裏に、ここまで壮絶な思いと努力があったとは。あらためて感動。
読了日:12月12日 著者:松本 修
星をさがす本星をさがす本
由来やポイントになる見方など初級~中級者向けと思います。写真は見やすく秀逸で、由来の神話も結構楽しめます。実際のフィールドでガイドブックとしての使用は想定されてないみたい。そこが少し残念。
読了日:12月09日 著者:林 完次
赤ひげ診療譚 (新潮文庫)赤ひげ診療譚 (新潮文庫)
やはり打ちのめされる。小説とはいえ、ここまで患者の内面を共有できてこそ医師なり。それゆえその役目は重い。最近このような医療が遠のいている。時代だから仕方ないという向きもあろうが今のままの体制では医療の将来は危うい。現在の政治家・官僚たちには自分が病に直面して放置されないとわからないだろう。しかし、”だが、彼らもまた人間だ”。この言葉は重すぎる。
読了日:12月06日 著者:山本 周五郎
星新一時代小説集〈地の巻〉 (ポプラ文庫)星新一時代小説集〈地の巻〉 (ポプラ文庫)
いわゆる時代小説くささのない、軽妙な文章での時代ショート。本格時代小説ファンには物足りないだろうけど、私にはとてもフィットして一気に読み終えてしまいました。やっぱり小学生の時に教科書で出会って以来、星新一はわれわれの世代には欠かせない作家なんだと思います。
読了日:12月05日 著者:星 新一
長崎の花〈中〉 (聖母文庫)長崎の花〈中〉 (聖母文庫)
味わい深い。如己堂付近は今も時々通る。なにより幼少時よく遊びに行っていたので思いも一味違うのかなあ。
読了日:12月02日 著者:永井 隆
Twitter革命Twitter革命
たしかに気楽に入力できるのはブログとややちがうみたい。かなりの可能性を持っていることはある程度わかりました。
読了日:12月01日 著者:神田 敏晶

読書メーター

2010年1月2日土曜日

今年の正月は

いつもと違う正月(昨年母が他界したため)であるが、たぶん、じめじめした気分でいることを母は望まないはず。という家族の思いが一致して、父を元気づける意味でもいつもと同じように(とはいっても2年ぶり)に温泉に行ってきた。行先は時間的な制約で雲仙。もう何回も行ってるので特別目新しいことはないんだけど、天候にも恵まれ(前日までは雪で旅程が危ぶまれていたが当日は晴天)、やはり皆で行ったらそれなりにおもしろかった。20年以上振りに地獄の温泉卵を賞味。駄菓子屋でブーブークッションを買ったけど、圧力かけすぎて破れちゃったので翌日是非にということで娘が再度購入。ガラスのストラップ作りも2回目だけどそれなりに楽し。耳付き焼き立て湯煎餅も初めて賞味した(1枚50円)。朝の散策の時は地獄で水晶探し。小学5年生の林間学校で訪れた時皆で拾ったのを覚えていて、事あるごとに娘に話していたが、今回ようやく実現した。もう何年もたってるし、場所も限られてるので無理だろうと思ってたら、意外にあるある。本物かどうかはさておいて、それらしくキラキラしたのが何個か見つかりました。硫黄のにおいも時にはいいな。などと思いながら雲仙観光ホテルで昼食を済ませてから帰路についた。写真は実際のものではないんだけど、2日早朝に部分月食があったそうである。
追記:やはり不景気の影響はここにもあるようで、正月らしい活気が不足している感じが否めなかった。地元の人々のそれなりの経営努力もところどころに伺えたが、新鮮味と迫力に欠ける。国立公園なのでいろいろな制約があるとは思うが、例えばジオパーク認定をもう少し前面に出したアイディア、企画などがあってもよかったのでは・・・。

カタルパの木 久し振りの投稿。この道は数十回と通っているはずなのであるが、気づいていなかった。カタルパの木、アメリカキササゲという北米由来の樹木である(木大角豆とも書くらしい、読めない)。初夏に開花するとある。今朝、久し振りに高良山に登ろうと車でいつものルートで参道下に向かう途中...