2009年11月9日月曜日

古い記憶


誰でも一番古い記憶があるはずだが、それが何であるのかははっきりとしないことが殆どではないかと思う。僕の場合も例外ではなく、赤ん坊のころの写真を見てもその場の光景がはっきりと脳裏にあるわけではない。最初の記憶は極めて曖昧である。ただ、4才頃に急性虫垂炎から腹膜炎をおこし、かなり長期間(おそらくひと夏かかったと思う)療養していた頃の記憶は結構はっきりしている。まずは最初に腹痛を自覚した場面。たぶんおやつに”はったい粉”(これ自体かなり昔のものでそば粉みたいな粉に砂糖をまぶして湯で練ったもの)を食べたあとにかなりおなかが痛んで、母か姉におんぶしてもらって家まで帰ったことを覚えている。また、最初の病院に入院中は手術中の記憶も部分的だが残っている。当時はケタラール麻酔だったのか、腰椎麻酔だったのか、手術室で膿盆になにか嘔吐した場面を記憶している。また、術後の点滴も多分大腿部にしていたし、病室は畳の部屋で母がつきっきりだった。腹膜炎がおさまらず、大学病院に転院した時は晴れた日で、タクシー(今はもうないが文化タクシーで、実は運転手さんが前にも乗ったことがある人だった)での移動だった。当時の大学病院の玄関とそれにつながる廊下はわずかに記憶がある。主治医の先生の顔は忘れたが、名前は浦野先生で、一度直腸診をされて、とても苦しかったことをはっきり覚えている。入院中友達が見舞いに来てくれて、当時としては最新のレゴのブロックをもらったが、なぜか黄色のブロックだけは見ると吐き気がするので除いて遊んでいた。退院後しばらくの間、以前書いた山沿いの小さな別荘で過ごした。その時の写真が1枚残っているが、さすがにやせっぽちでポションとした感じである。しばらく内服薬(抗菌剤?)を飲んでいたが濃いピンクのけっしておいしくない代物で、食後はいつもいやな気分になっていた。今でこそ比較的健康体だが、当時の小児の腹膜炎は致死率もけっして低くなかったと思う。自分の娘が熱を出しただけでも心配でたまらないのに、当時の両親、特に母親の心配は想像を絶するものだったのではないかと思う。ここにあらためて感謝したい。

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