2009年11月29日日曜日

紅葉 考

長崎市も遅ればせながらようやく本格的な紅葉の季節を迎えたようである。とはいってもいわゆる紅葉の名所に比べれば全く大したことはないのだが、本格的な寒さを迎える時期に入っていく節目になるので、毎年気には掛けている。とりあえずは住まいから正面に位置する山の色づきが変わっていく様子を目安にしているが、週末の犬との散歩の時に目にする近隣の変化がやはり楽しい。もみじの赤やイチョウの黄色はやはり訴える力があり、緑の中の彩度対比や背が高く葉のボリューム豊かなイチョウを見ると、ハッとすることすらある。一方、紅葉としてはやや精彩に欠く感じはあるが、個人的には桜の紅葉も好きである。緑、赤、橙、黄、茶の4色が微妙に混ざり合っている感じはフレームに収めると面白いんじゃないかなと思う。イチョウはある時期すぎると一気に落葉するみたいだけど、桜もどちらかというと散りやすい感じで、枝ぶりの良い木で色づいた葉がぽつぽつと残ったような桜を見ると、なぜかBill EvansのYou Must Believe In SpringのCDジャケの絵(季節は違うがシュールな感じが好きで、ジャケットのみで買ってしまった。実は中身もまあまあ好きだけど。)を思い浮かべてしまう。今年もこうして暮れて行くんだなあ、と思いながら濃いめのコーヒーを啜っています。

2009年11月28日土曜日

交差点

何かと交通事情の悪いことで知られる長崎市であるが、今、ようやく浦上川沿いのバイパス工事が目に見えて進んでいる。ブリックホール裏手の高架はもう4-5年前から存在はしていたが、一向に工事が進展する気配がなかった。またどうせ県のやる仕事だから予算が下りないとか入札がどうのこうのでたぶんこれから先10年は出来ないんだろうと思っていた。今のところ原爆病院前の高架が作られつつあるが、どうだろう、それでも全面開通にはまだ時間はかかるだろう。ただ開通の暁には増加するこの路線の交通量に現状の信号システムでは渋滞を惹起するだけであろうと感じている。特に法倫会館前の交差点の信号は、川向うの交差点までの距離が短いことと、国道側が踏切になっていることから、極めて利便性の悪い交差点になっている。何らかの思い切った対策を同時に進めなければいけないと思う。それだけではなく、市内にはもう少し時間配分やタイミングを調整すれば交通がスムーズになりそうな交差点が数多く存在するようである。自治体の適切な対応を望む。

2009年11月22日日曜日

金毘羅山

少し前になるけど、長崎の金毘羅山に登ってきた。最後に行ったのが小学校中学年の遠足だったから実に35年ぶりくらいになる。記憶にあるのは山頂近くに大きな岩があって、当時ここで友達がころんで骨折したことである。先生たちが大騒ぎして担いで下山していったシーンはよく覚えている。とにかく、立山公園に車をとめて、最短コースでまずは神社へ向かった。金星観測隊の史跡と長崎港の眺めを堪能して、山頂にむかった。神社を通り越したあたりで、あったあった、この広場とあの岩だよ。こんな感じか。当時はもう少し岩がよく見通せていたようだったが、記憶は曖昧、こんなものだろう。ちなみに写真がこれ。横目に山頂への道を進んだ。近いだろうと思って早足に近いスピードで登ったら、結構ハードで、山頂にたどり着いたときは汗だく、息切れであった。山登り愛好家にいわせれば、何のこれくらいと笑われそうである。山頂からは長崎市の坂本・浦上地区からやや北部方向の視界が広がっている。眺めとしては金星観測史跡側のほうが良いかな。帰りは広場の岩のところに寄ってから別ルートで立山公園へ下った。なかなか刺激になってよかった。この日はこのあと坂本外人墓地と片足鳥居、山王神社にも立ち寄って、ちょっとした長崎さるくであった。ちなみに永井隆博士の墓が坂本外人墓地にあるとは知らなかった。次はどの山に登るかな。

2009年11月21日土曜日

味覚 考

年齢を重ねるといろんな体の変化がおこってくる。多くは残念かショックなことである。私の場合はまずは体重増加かな。禁煙してそろそろ10年になるけど、おかげで呼吸器の症状からは解放されたものの、食欲が出て、満足な運動もしていないことも手伝って、現在は禁煙開始時より10キロは多い。これはなかなか減らない。あと、特にここ2-3年ストレスが多かったせいか白髪が明らかに増えた。そのほかにもショックなことがたくさんあるが、唯一、味覚に関してはやや好ましい方向に変化したのかな、と感じる。以前はわからなかったのに、40歳すぎてから本当においしいな、とか味わいが分かるようになってきたものがいくつかある。まずはお酒。中でもワインとシングルモルトウイスキー、それから焼酎(ほとんどやないか!)。機会がふえたのもあるけど(アル中ではないよ)、なんとなく違いがわかるようになってきた。それからチーズ。ブルーやウォッシュなんておいしくてうっとりすることすらある。それからコーヒー。じっくり淹れたてのレギュラーをブラックで啜るとほっと落ち着きます。これらの感覚は30歳代まではなかった。これからもこのあたりの五感の変化はどうしても起こってくるのであろうが、好ましい方向への動きを切に希望したい。

2009年11月15日日曜日

カラムシ

幼少時から慣れ親しんできた草花がある。しかし、その名前が正確に伝わってない場合もしばしばあるようである。小さいとき、父親からおそわってよく遊んでいたのが、とある雑草の葉を左手指で作った丸の上に乗せて、右てのひらで叩いて、”ぽんっ”と音を鳴らすものであった。雑草は今でもその辺りによく見かけるもので、当時父は、”ぽんぽん草”とか”しゅろ”とか呼んでいたようであった。2年ほど前ようやく正式な名前を知ることができた。それは”カラムシ”で、昔はその繊維を織って、布にしていたらしい。突き止めるのに雑草の本を3冊も買ってしまった。おかげで他の草花についての知識も確認できた。例えばカタバミの名の由来やアヤメとカキツバタの見分け方、ハルジョオンとヒメジョオンの区別はなかなか難しいことなど。また、センチュリー・ツリーといわれるリュウゼツランの花をこの3年間で2回も目撃した。それも職場の敷地内であった。気づいた人が果たしてどれくらいいたものか。

2009年11月13日金曜日

ナガサキ・ロード

留学中に一度、ミネアポリス・セントポールにいったことがある。お決まりのモールオブ・アメリカに行った翌日にセントポールを訪れた。セントポール市は長崎市の姉妹都市で、以前から一度は行ってみたい街のひとつだった。家族はあまり乗り気ではなかったようだが、僕はひとりでうきうきしていた。というのも、訪問前に入手した地図でどうやらNagasaki Roadと名付けられた通りがあるらしく、これを是非探してみたかったからである。長崎市にはセントポール通りがあり、目についてなかなか小奇麗な道なので、アメリカ側のNagasaki Rd.がはたしてどんな感じかとても興味があった。そしていよいよ地図を片手に該当する場所を探してみたところが、残念ながらついにRd.のサインは見つけることができなかった。若干(いや、かなり)意気消沈して帰路に就いたことを記憶しているが、これが2001年のことだった。この一件、ずっと気にはなっていたのだが、特にそれ以上調べることなく過ごしていた。ところが今年2009年になって、子供の小学校の”実践”活動で姉妹都市について調べる機会をもち、ようやくその事情がわかった。長崎市の国際観光課に問い合わせたところ、セントポール市側から回答があり、都市部再開発(空港からの道路整備)にともなって、当時Nagasaki Rd.はなくなっていたとのことであった。どうやら近いうちにまた新たに設定される見込みだそうである。少しほっとした。地図上で確認できる日を楽しみにしている。ちなみに写真はモールオブアメリカで購入したクラークスの靴。5年くらい履いたかな。

2009年11月9日月曜日

古い記憶


誰でも一番古い記憶があるはずだが、それが何であるのかははっきりとしないことが殆どではないかと思う。僕の場合も例外ではなく、赤ん坊のころの写真を見てもその場の光景がはっきりと脳裏にあるわけではない。最初の記憶は極めて曖昧である。ただ、4才頃に急性虫垂炎から腹膜炎をおこし、かなり長期間(おそらくひと夏かかったと思う)療養していた頃の記憶は結構はっきりしている。まずは最初に腹痛を自覚した場面。たぶんおやつに”はったい粉”(これ自体かなり昔のものでそば粉みたいな粉に砂糖をまぶして湯で練ったもの)を食べたあとにかなりおなかが痛んで、母か姉におんぶしてもらって家まで帰ったことを覚えている。また、最初の病院に入院中は手術中の記憶も部分的だが残っている。当時はケタラール麻酔だったのか、腰椎麻酔だったのか、手術室で膿盆になにか嘔吐した場面を記憶している。また、術後の点滴も多分大腿部にしていたし、病室は畳の部屋で母がつきっきりだった。腹膜炎がおさまらず、大学病院に転院した時は晴れた日で、タクシー(今はもうないが文化タクシーで、実は運転手さんが前にも乗ったことがある人だった)での移動だった。当時の大学病院の玄関とそれにつながる廊下はわずかに記憶がある。主治医の先生の顔は忘れたが、名前は浦野先生で、一度直腸診をされて、とても苦しかったことをはっきり覚えている。入院中友達が見舞いに来てくれて、当時としては最新のレゴのブロックをもらったが、なぜか黄色のブロックだけは見ると吐き気がするので除いて遊んでいた。退院後しばらくの間、以前書いた山沿いの小さな別荘で過ごした。その時の写真が1枚残っているが、さすがにやせっぽちでポションとした感じである。しばらく内服薬(抗菌剤?)を飲んでいたが濃いピンクのけっしておいしくない代物で、食後はいつもいやな気分になっていた。今でこそ比較的健康体だが、当時の小児の腹膜炎は致死率もけっして低くなかったと思う。自分の娘が熱を出しただけでも心配でたまらないのに、当時の両親、特に母親の心配は想像を絶するものだったのではないかと思う。ここにあらためて感謝したい。

2009年11月7日土曜日

NBCのPrime Rib に会いたい


最近、思いっきり肉を食してないので、オマハでのステーキの思い出を少し。最初にprime ribに出会ったのが知り合いの日本人に連れて行ってもらったCharie's on the Lakeだった。”これがおいしいよ”、といわれて注文したら、なまっ白いボテっとした、いかにも締まりのなさそうな肉塊がでてきて、”なんじゃこりゃあ”と思ったところ、口にしてみたらなんとジューシーでおいしいこと。もともと肉食には抵抗がなかったので、”これは良いものを教えてもらった”。と、以後は機会があればいろんなところでいろんなステーキをいただいた。結局一番頻繁にいったのが住まいに近かったこともあってNebraska Beef Company(通称NBC)だった。最初は中が暗そうで怖くて入れず、何の店なんだろうと思っていたが、こんな近くにうまい肉が食えるところがあると知ってからは度々訪れた。一番はマッシュルームソースのかかったミディアムのprime rib。思い出しただけで垂涎である。他にもRuth's Chrisのリブアイもなかなかよろしく、ハワイに行った時店があると知って、他はどうでもいいからここだけには行かねば、と思ったくらい。そのほかオマハではおいしいと評判の店で小さな子ども連れでもOKなところはほとんど行ったかな。食した中で最大は16オンス+ α。AustinやOutbackは肉質やや劣り、やっぱり地元生え抜きの店が一番。でも品川ではついついOutbackに入ってしまった。どうやらRuth's Chrisも霞が関にあるとのこと。今度行ったら何とか訪れたい。でも、本当は来年の夏こそばっちり休みとってNBCのPrime Ribに会いに行きたい。

2009年11月4日水曜日

最近見ない生き物

 幼少時(35-40年前)、山沿いの住宅地に別荘とまではいかないがこじんまりとした平屋の家があって、夏休みは母と兄弟でそこで過ごした経験がある。すぐそばには堤があって、その先は田んぼから山道に続いているような自然満載の環境であった。たくさんの動植物に触れる機会があり、今となっては極めて貴重な経験であり、思い出である。当時は普通に見られていた生物も昨今の環境破壊で絶滅の危機に瀕しているのかもしれない。その代表をいくつかあげてみる。1.あかはらいもり: 堤の水面を身をくねらせながらたくさん泳いでいた。毒々しい色はいかにも悪者のイメージだった。どうやらふぐと同じテトロドドキシンを含んでいるとのこと。2.青ミミズ:シーボルトミミズとも呼ばれている。はじめて見た時はあまりの大きさと色にびっくりしたことをよく覚えている。3.ゲンゴロウ:水生昆虫では一番人気だったと思う。なかなかすばしっこくて、ようやく捕まえた時はうれしくてたまらなかった。

 先日、約10年ぶりにその場所を訪れてみたが、水が減って背の高い葦に覆われた堤がなんとか残っているくらいで、奥はゴルフ場になっていた。しばらく水面を眺めていたが、動く生き物の気配は全く感じなかった。変わり果てた姿を見るのはやはりさみしいものである。そっと目を閉じて当時の感覚に思いを馳せてみた。そのうち植物編も紹介したい。

2009年11月1日日曜日

思い出の本


前回に引き続き、今度は多分一生忘れないと思う本について。それなりに記憶に残ったり、一気に読んでしまった本は結構あるが、読んだ時の思いが今でも鮮明に残っていたり、何度でも紐解いてみたくなる本。その1: かこさとし著「科学者の目」。多分私の進路に最も大きな影響を与えた本。ハードカバーのオリジナルが親戚に貸したあと行方不明で残念。単行本で入手可。娘に勧めたがなかなか読んでもらえない。その2: リチャード・バートン著「せいめいのれきし」。これは挿絵がとにかく美しいというか奥深い。初版年が僕の生年と一緒なのが運命を感じる。今でも入手可。ただ初版は表紙が黒のハードカバーで、黄色の装丁の箱に入っていたように記憶している。その3:著者は忘れました「みつやクンのマークX」。小学校1年か2年の時の学研夏休みよみもの特集号に収載されていた未来カーの話。トヨタのマークXが出た時はなんでこんなに遅かったんだろうと思うくらい極めて良いネーミング。調べてみたら2007年に復刊されているようである。しかしながらオリジナルとはどうも雰囲気が異なる気がしてならない。よみもの特集号の実物は手元になく、あるのはうっすらとした記憶のみ。誰かオリジナルを持ってませんか?他にもあるがまた次の機会に。

カタルパの木 久し振りの投稿。この道は数十回と通っているはずなのであるが、気づいていなかった。カタルパの木、アメリカキササゲという北米由来の樹木である(木大角豆とも書くらしい、読めない)。初夏に開花するとある。今朝、久し振りに高良山に登ろうと車でいつものルートで参道下に向かう途中...