2011年1月3日月曜日
正月の風景
長年過ごしてきた正月3が日であるが、なんとなく画一化されているような気がして、ちょっと振り返ってみたくなった。中学生のころまではどうしても親と行動を共にするので、だいたい1日は父の実家、2日ないし3日は母の実家に伺うのが定番であった。そのうち数回は家族で旅館かホテルに1泊したこともあったと思う。おそらく写真が残ってるためであろう、小学3年生の正月は家族で島原の九十九ホテルに泊まった。天候にも恵まれ子供心にああ、良いなあなんて気分に浸ってたような記憶がある。高校3年間と大学生時代もおおむね変わりないパターンだったかと思うけど、受験や友達同士で初もうでなんか行ったりして、それまでほど家族での行動が密ではなかったように思う。そのうち姉が嫁ぎ、自分も社会人で仕事を始めると、親戚で集まる機会はグッと減った。少なくともここ15年は集まってないのではないかと思う。変わって両親の自宅(すなわち自分の実家)に親兄弟の家族で集まるようになった。多くは2日の夕食の時で、これは現在も続いている。ただ、母も交えての全員集合は2008年が最後だった。テレビ番組もおおむね同じかなあ。というか、番組内容がすでに画一化されているので、これは変えようがない。ずっと天皇杯や高校サッカーが主だったけど、最近は国見高校も弱くなったし、天皇杯も存在感やや薄いしで、もっぱら箱根駅伝を楽しみにしている。これまでずっと続けてきた年越し勉強も今年は中断。その瞬間は福岡のホテルでカウントダウンパーティーだった。こんなのもたまには新鮮で良い。過去、この習慣が途絶えたのはオマハ時代に21世紀を迎える瞬間を日本人家族のアパートで皆で過ごした時ぐらい。あとは小学校高学年からずっとやってきた。多分皆さんもいろんな正月の習慣があるんだと思う。ただ、昨今の日本の状況からすると、雰囲気がずいぶん変わってきたのも事実であろう。せめて、正月くらいは日本人らしさをじっくり味わう余裕がほしい。
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