2010年8月3日火曜日
化石の思い出
しばらく前にウォーキングで浦上水源地周辺を歩いていたところ、高田郷へつながる細い道沿いで工事中の崖を目の当たりにした。最初は何となく通り過ぎようとしていたのだが、その崖の色調にふと、思い出すイメージがあって立ち止った。実はその露出した崖の地層の一部が、小学校6年生の時理科の校外実習で長与青葉台に化石拾いに行った時のその岩石の色にそっくりだったからである。その色はチャコールグレーと言っていいのではないかと思うが、岩石の名称はわからない。また、地理的にもこの2か所は決してかけ離れているわけではなく、連続している可能性はある。実際34年前の青葉台では化石を含む岩石は空き地に転がっていたと表現するほうが正しく、おそらく周辺の崖から掘削して運ばれたものだったのではないかと推測される。今回の工事現場は残念ながら進入禁止であったので、日曜日でひと目はなかったのだが、さすがに躊躇されて岩石を手にできなかったのが残念である。理科のK先生(実際はクラス担任)は他にも我々を化石拾いに連れて行ってくれた。茂木の化石海岸で、今は多分採取が制限されているんじゃないのかな?海岸沿いを波しぶきを浴びながら皆で進んでいった光景が思い出される。このときは何某かの葉の化石を見つけて興奮したことも覚えている。このK先生とはなんと卒業後約30年してとあることから再会することになった。今でも定期的にお会いする機会がある。残念ながら化石の話はまだしてないんだけど、今度ゆっくり時間が取れるときに是非詳細をうかがって見たいものである。
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