2010年8月30日月曜日
作品 筆立て
幼稚園年中の時の作品。ガラス瓶(牛乳瓶?)をベースに紙粘土で成形し、絵具で色付けして、最終的に表面は先生からニス?を塗ってもらった。縁の近くの丸い形は多分貝殻で型をつけた。色合いはなんとなくビビットでありながら渋め。ちなみに底面は明るいBlue Green。さらにやや斜めになっているところがよい。実際に鉛筆を立てて使ったことは何回かあるだけだろう。渋すぎて涙が出そうになる。
2010年8月29日日曜日
路上のデザインシリーズ 下水蓋
長崎市の下水道マンホール蓋。路上に設置されている数は下水道蓋が最も多いようである。永年この街で生活してきながら、実にこれらに関して意識していなかったかが今回わかった。長崎市のHPによると、現在使われているものはアジサイを基調としたデザインで、昭和61年から使用されているとのこと。しかし細かいデザインの違いが存在するようで、”おすい”または”汚水”と書いてあるか、または文字が無いもの、軽量または重量などの記載がされてるものなどがあるそうな。まだこれら全部は肉眼で確認していない。これより以前のものに関しては年代順がわからないが、マルが基調になってるものと星が基調になってるものがあった。ただ長崎市章の星は必ず付いてるようだ。写真の下2つはいずれも実家すぐ前の路上で撮影したもの。さび具合からかなりの年代物と感じるが、これまで一切、ちゃんと眺めていなかったことが悔やまれる。特に真ん中のものは玄関を出てすぐ目の前にあるもので、もし、足跡が確認できるのであれば、我々家族のものが無数についているはずである。雨の日も風の日もそこに存在してたんだなあと思うと何だか切なくなってしまう。
マンホール蓋については今後さらなる探索を行いたい。
2010年8月28日土曜日
床屋、理髪店またはHair Cut !!
今回は床屋さんの変遷その1。小学校2年生くらいまで多分三浦?理髪店。薬局と同じ並びで100メートルほど赤迫寄り。店内はおぼろげながら覚えている。調髪用椅子が2脚あって、2つの鏡の間に飾ってあった白黒の不思議な写真が妙に記憶に残っている。今で言うB5版大のパネルになってたと思う。何か雲みたいなもこもこした白の背景に黒い蛇みたいな形をした、でも何となく無機質的な物体が斜めに走っていた。想像するに飛行中の機内からみた外の風景か、新幹線みたいな高速で動いている物かのいずれかではないかと思う。まだ子供だったので、これが何の写真なのかはオジサンには聞けなかった。オジサンは50~60歳くらいかな、特に強面でもなくやさしい感じだったけど、カット中に僕がよく頭を動かすのでしょっちゅう姿勢をビシッと正されていた。顔そりの前に剃刀をなめし皮でシューッ・パー、シューッ・パーと砥ぐ様子を鏡越しに見てあれは何をしてるんだろうとかいつも思ってた。それから鏡の横の棚には丹頂のチックが載っていて(当然当時はそれが何かはわからない。大きくなって別の機会にようやく何者か知ることになる)、子供には使うものじゃないんだろうな、なんて思ってた。今やその丹頂はMandomだよ。かく言う自分は今、Gatsbyのムースを愛用している。なんか巡りあわせかな?
ところがその床屋さんはある日突然閉店して無くなってた。子供心にとてもびっくりした記憶がある。いろいろあったんだろうが理由は定かではない。もしかしたら親父が知ってるかもしれない。今度聞いてみようか。それから我が家が引っ越すまでの1-2年間は裏通り床屋さんに行った。そこでの記憶が1つだけある。髪を切ってもらいながら見てたテレビの番組が、中日がリーグ優勝した時の試合だった。調べてみたら1974年、昭和49年だった。10歳、小学5年生である。
以後の変遷は次の機会に。
2010年8月22日日曜日
Omaha Botanical Garden
やっぱり行ってしまった
2010年8月16日月曜日
2010年8月14日土曜日
百日紅
2010年8月13日金曜日
香港トイレ事情
第2弾はトイレ考。写真は往路で台北空港に降りた時撮った写真。基本香港も同じ表記だったように思う。手間をかけて洗う?手の間に挟む?多分手を洗う間、小部屋といった意味合いであろうが本当のところは不明である。実際ここの中にははいらなかったのだが、香港ではホテルやちゃんとした建物の中のトイレはそれなりに清潔ではあった。ただ、宿泊したSheratonにしても、内装は大変きれいに飾りつけしてあるんだが、トイレボウルはアメリカでもみるようなごく普通の奴で、ウォシュレットは皆無であった。やはり、トイレに関しては日本が世界最先進国であろう。自身、じつは最初ウォシュレット使わず嫌い派であった。一旦恐る恐る使ってみたら、以後はないと困る存在になってしまった。日本人の清潔感と細やかさがにじみ出ている大発明である。ちなみに流す水流の研究には味噌が用いられたとのこと。日本人文化の結晶であることを認識させられる。
2010年8月8日日曜日
香港交通事情
夏休みがとれたので、3泊4日で香港に行ってきた。暑い中をさらに暑くなりに行った感じだったが、それなりに面白かったので少しずつネタをアップしていきましょうかね。第1回は交通事情について。さすが700万人の大都会で、例のゴミゴミ感と香港人の元気の良さが混然一体の凝縮感満載であった。赤いタクシー(九龍・香港島担当)と2階建てバス、トラム(写真)、スターフェリー、MRTなどなど交通機関はかなり充実しており、移動には多分不自由はないであろう。今回乗ったのはオープントップバス(ツアーにて)、タクシー、トラム、MRT、スターフェリーと結構網羅した感じ。残念ながらオクトパスは使わなかった。タクシーは初乗り18HDで安い。(今回訪問時のレートは1HD=11.5JY程度)MRTは2駅で8.5HDだったからこれも安いでしょう。交通費以外も合わせて、物価は日本の6割といった印象だった。4日間で気付いたのは、①横断歩道は黄色のラインである。②歩行者用の押しボタンもある(写真)。待機中や青の時の音は日本みたいにメロディーではなく、”カチカチカチ・・・”といった無機的な音であった。③車用は赤から青にかわる前に黄色が点灯する(よって、瞬間的に黄色と赤が同時点灯するタイミングがある:写真)④歩行者用の信号は結構ない道が多く、信号があっても無視して渡る歩行者が多い。⑤地面には”望右”または”望左”と矢印が一応書かれている。⑥バスは結構バリバリ飛ばして走る。といったところでしょうか。3日目の夕食後の帰り道に車の接触事故を見た。中環の結構大通りだったのでかなりの渋滞を惹起していた。レンタカーで運転しようとは思わない街である。
2010年8月3日火曜日
化石の思い出
しばらく前にウォーキングで浦上水源地周辺を歩いていたところ、高田郷へつながる細い道沿いで工事中の崖を目の当たりにした。最初は何となく通り過ぎようとしていたのだが、その崖の色調にふと、思い出すイメージがあって立ち止った。実はその露出した崖の地層の一部が、小学校6年生の時理科の校外実習で長与青葉台に化石拾いに行った時のその岩石の色にそっくりだったからである。その色はチャコールグレーと言っていいのではないかと思うが、岩石の名称はわからない。また、地理的にもこの2か所は決してかけ離れているわけではなく、連続している可能性はある。実際34年前の青葉台では化石を含む岩石は空き地に転がっていたと表現するほうが正しく、おそらく周辺の崖から掘削して運ばれたものだったのではないかと推測される。今回の工事現場は残念ながら進入禁止であったので、日曜日でひと目はなかったのだが、さすがに躊躇されて岩石を手にできなかったのが残念である。理科のK先生(実際はクラス担任)は他にも我々を化石拾いに連れて行ってくれた。茂木の化石海岸で、今は多分採取が制限されているんじゃないのかな?海岸沿いを波しぶきを浴びながら皆で進んでいった光景が思い出される。このときは何某かの葉の化石を見つけて興奮したことも覚えている。このK先生とはなんと卒業後約30年してとあることから再会することになった。今でも定期的にお会いする機会がある。残念ながら化石の話はまだしてないんだけど、今度ゆっくり時間が取れるときに是非詳細をうかがって見たいものである。
2010年8月1日日曜日
JR長与経由
福岡出張の帰りに急に思いついて、諫早で下車し、長与経由の普通列車で浦上まで行ってみた。もしかすると長与経由線を通るのは、小学校3年生の時”さくら”で東京に行った時以来かもしれない。多分まだ市布経由は完全開通してなかったんじゃないかなあ。とにかく、ワンマンの2両編成で出発。まだ朝の時間帯のせいか、学生など結構乗客は多い。幸い進行方向に向かって左側の窓側の席が空いていたので着席することができた。しばらく本を読もうかとしたけれど、ききつからは久しぶりの路線なので、車窓からの眺めを堪能することにした。予想通り、ずっと山沿いの田舎風景だったが、大草周辺では大村湾が右手に広がっており、なかなか良い眺め。ただ席と反対側だったのでやや見にくかった。その後本川内~長与周辺にくると見慣れた風景になってきた。この辺で下車してタクシーでも帰れたんだけど、せっかくなので浦上まで行くことにした。道の尾駅は歴史を感じさせるホームの煤け様で、原爆の時の情景を思わずにはいられなかった。そこから先は普段よく通る道を裏側から見下ろす不思議な感じで楽しかった。西浦上駅を過ぎたところで市布線と合流し、あとはいつもの風景。ただ、特急よりスローで、やや車窓が広く感じた分、いつもより明るく見えた。そうこうしているうちに浦上に到着。約50分の旅であった。
7月の読書メーター
7月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:1597ページ
大きな文字のTVのそばに一冊 ワールドアトラス
役に立ちまっせ~。中学の地図帳ののりですが、これの細かい字が見えにくくなったら老眼の始まりですな。
読了日:07月29日 著者:
理系のための口頭発表術 (ブルーバックス)
細かい技術は参考になる。基本コンセプトはそこまでnewなものはない。個人的に一番役に立つと思うのは実際の本番での発表を録音してあとで聞いてみること。
読了日:07月29日 著者:R.H.R. アンホルト
WORLD SOCCER DIGEST (ワールドサッカーダイジェスト) 2010年 8/5号 [雑誌]
各国代表評価には一応納得だが、評価者がその国の人なので、やや普遍性に欠けるか。
読了日:07月21日 著者:
飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
古典の良さを改めて認識した。というか、いかに自分が本を読んでなかったかということ。しかしこれほど正義感を持って正当な喧嘩を大々的にやる学生は残念ながら現在には存在しない。大人である教師もしかり。どうやら皆見つめなおす必要がありそうだ。
読了日:07月19日 著者:ケストナー
スマートグリッド入門 次世代エネルギービジネス (アスキー新書)
間違いなく今後導入が進み発展していく分野であることが理解される。しかしセキュリティー保護の問題が最大の難関か。
読了日:07月11日 著者:福井 エドワード
職業としての学問 (岩波文庫)
大きく3つの点について述べられていることは把握できたが、確かに比喩、強調、繰り返しが多く、読むよりも実際の講演として聞けばかなりのインパクトがあるのだろう。現在の考えとは相いれない部分もあろうが、ドイツ的であり日本人の根底にも多分共通点はあるのか。
読了日:07月11日 著者:マックス ウェーバー
暗号解読 下巻 (新潮文庫 シ 37-3)
おもしろくて一気に下巻に行かざるを得ず、読了。現代はすべての科学が結局はどこかでつながるんだなあと感じます。しかしまたしても素数の役割は大きかった。この後著者が宇宙創成に進むのも頷ける気がする。
読了日:07月10日 著者:サイモン シン
暗号解読〈上〉 (新潮文庫)
やはり、読み始めるとのめりこんでしまった。おもしろく、深い。読友さんの指摘で上下巻一緒にそろえましたが、上下一緒に持ち歩かないので、補遺にはなかなか目が通せませんでした。
読了日:07月09日 著者:サイモン シン
読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:1597ページ
大きな文字のTVのそばに一冊 ワールドアトラス
役に立ちまっせ~。中学の地図帳ののりですが、これの細かい字が見えにくくなったら老眼の始まりですな。
読了日:07月29日 著者:
理系のための口頭発表術 (ブルーバックス)
細かい技術は参考になる。基本コンセプトはそこまでnewなものはない。個人的に一番役に立つと思うのは実際の本番での発表を録音してあとで聞いてみること。
読了日:07月29日 著者:R.H.R. アンホルト
WORLD SOCCER DIGEST (ワールドサッカーダイジェスト) 2010年 8/5号 [雑誌]
各国代表評価には一応納得だが、評価者がその国の人なので、やや普遍性に欠けるか。
読了日:07月21日 著者:
飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
古典の良さを改めて認識した。というか、いかに自分が本を読んでなかったかということ。しかしこれほど正義感を持って正当な喧嘩を大々的にやる学生は残念ながら現在には存在しない。大人である教師もしかり。どうやら皆見つめなおす必要がありそうだ。
読了日:07月19日 著者:ケストナー
スマートグリッド入門 次世代エネルギービジネス (アスキー新書)
間違いなく今後導入が進み発展していく分野であることが理解される。しかしセキュリティー保護の問題が最大の難関か。
読了日:07月11日 著者:福井 エドワード
職業としての学問 (岩波文庫)
大きく3つの点について述べられていることは把握できたが、確かに比喩、強調、繰り返しが多く、読むよりも実際の講演として聞けばかなりのインパクトがあるのだろう。現在の考えとは相いれない部分もあろうが、ドイツ的であり日本人の根底にも多分共通点はあるのか。
読了日:07月11日 著者:マックス ウェーバー
暗号解読 下巻 (新潮文庫 シ 37-3)
おもしろくて一気に下巻に行かざるを得ず、読了。現代はすべての科学が結局はどこかでつながるんだなあと感じます。しかしまたしても素数の役割は大きかった。この後著者が宇宙創成に進むのも頷ける気がする。
読了日:07月10日 著者:サイモン シン
暗号解読〈上〉 (新潮文庫)
やはり、読み始めるとのめりこんでしまった。おもしろく、深い。読友さんの指摘で上下巻一緒にそろえましたが、上下一緒に持ち歩かないので、補遺にはなかなか目が通せませんでした。
読了日:07月09日 著者:サイモン シン
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カタルパの木 久し振りの投稿。この道は数十回と通っているはずなのであるが、気づいていなかった。カタルパの木、アメリカキササゲという北米由来の樹木である(木大角豆とも書くらしい、読めない)。初夏に開花するとある。今朝、久し振りに高良山に登ろうと車でいつものルートで参道下に向かう途中...
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写真は大浦のボウリング発祥の地のモニュメント。ここにあったのは知らなかった。あらためて撮影。昭和40年代後半から50年代前半にかけたボウリング全盛時代には市内に合計4か所のボウリング場があった。ゴールデンボウル(家野町)、ラッキーボウル(大橋町)、72ボウル(宝町)、そしてスポ...
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とても天気がよかったので久しぶりに近所の散策に出かけた。いつも車で近くは通っているのだけど、やはり歩いてみるといろんな細かいことに気付く。その中で今回はちょっとショッキングなことになってた。あの永井学生センターがとうとう取り壊されて平地になってしまっていたのだ。たぶん駐車場...
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前回豆腐の話を書いたとき、玄海嵐が出てきたので、つい九大時代の食生活について書きたくなった。時は1991年。まだ日本がいろんな事に前向きで元気のあったころ(というか、バブルか)。当然まだ独身であったので、ラボの学生や企業から来ていた同年代の研究生なんかとよく食事に出かけた。この...