2010年12月4日土曜日
Hair Cut 続編
散髪史その2.小学6年から中学校時代は、実家の近くの理髪店がもっぱらだった。最初は歩いて10分ほどのところにあった住宅地内の「誠」理容室。オジサンはそんなに年食ってなかった。多分40歳半ばくらいかな。黒ぶち眼鏡で無口、まじめな感じだった。出来上がりはいつも70点という感じで、この頃から洗髪してもらえるようになったんじゃなかったかな?中学2年ごろサッカーの試合で負けて、責任とってはじめてスポーツ刈りにした時は、オジサンが若干戸惑っていたような気がする。この理髪店はたぶん高校生のころ他所へ移転して無くなった。その後はもっと自宅に近い理髪店2か所をかわるがわる使ってたように思う。あまり強い印象は残っていない。高校時代(久留米)はおそらく下宿近くの床屋も使ったはずだが記憶が無い。大学時代は再び実家近くの床屋を転々とした。ちなみに髪型もそういえばほとんど変わっていないのである。手を加えたのは中学時代の1回と高校時代の半分をスポーツ刈りで過ごしたことと、大学院生時代に1度だけパーマをあてた(箱崎九大近くの美容院だったと思う)ことくらいかなあ。社会人になってからは勤務先でそれぞれ目についた床屋にいったくらいで、特にこだわりは持ってなかったと思う。唯一記憶にあるのが山王公園近くの典型的なオジサンの床屋で、ここでは洗髪の後、耳掃除をしてくれた。これが結構気持ちいいんだ。今でもその床屋はあるんじゃないかな。さて、いよいよ次回は海外編である。写真は半年前くらいまで愛用していたうさぎ耳かき。多分6~7年は使ったんじゃないかな。最後は折れちゃった。
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