2010年10月24日日曜日
西望公園
島原での仕事が終わって、少々時間があったので、またふらふらと車を走らせていたら、案内板が目について早速訪れてみた。ここにあるとは知らなかったが、パンフレットによると昭和54年にできている。なんと私が中学生の時である。う~ん、いかん。すでに30年が経過している。西望翁は昭和62年に逝去されているので、なんとなく自分の節目にも合致する。記念館のたたずまいはさすがに煤けているが、ここからの原城址の眺めは心に訴えかけてくるものがある。目を閉じると静寂の中で、島原の乱の喧騒が聞こえてきそうな錯覚に陥る。存在を知っていたら母を連れてきてあげたかったなあ。そのうち父を連れてこようか。ちなみに作品の中ではやはり日蓮が最もインパクトがあり印象深い。
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