たしかに、最近目にする機会はぐっと減った。昔は季節になるといたるところで雛の鳴き声を聞いたものである。自分にとって最も記憶に残っているツバメの巣は今はもう撤去されてしまったが、昭和町通り交差点の歩道橋から見る映画館(公楽:これも立派なブログテーマになるのだが)の外壁にあったものだろうか。学校帰りに歩道橋を半分くらい登ったところで見えてきてた。結構近くになるので雛の口の中まで見えそうな感じだった。ツバメがやってくると子供心になんとなく季節を感じていたのだと思う。映画館自体が取り壊されたのがいつだったか、その後はツバメそのものにも興味が薄れていく年代になっていったのだろう。ここ数年で巣を見たのは北郵便局、三原台病院の軒下と今回北消防署にあるのを発見した(写真)。いずれも公共施設であり、ツバメもわかって巣をかけているのかもしれない。「玄鳥至る」:どうかこの言葉が意味を失わないようにあってほしいものである。
2013年6月30日日曜日
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