2012年8月15日水曜日

LONDONオリンピック総括

 今回が第30回にあたるという4年に一度のスポーツの祭典が幕を閉じた。ロンドン五輪の個人的な印象をまとめておこう。自身この世に生を受けて、今回が13回目のオリンピックになる。実際に記憶にあるのは1972年のミュンヘンからである。体操塚原選手のムーンサルトに感動し、松平男子バレーに燃えた。その後もいろんな感動が積み重なり、オリンピックの思い出は人生の中においても重要なものになっていることを実感する。通常開催が夏休み期間にあたるため、自分の夏の思い出と重なるのもその1つの理由であろう。
 ともかく、今回は女子アスリートの活躍が目立った。レスリングとサッカーは特筆に値する。そのほかいわゆるマイナーといわれる競技でも金まではいかずとも多くのメダルを獲得したことは、今マスコミでも取り上げられているようにナショナルトレーニングセンターの存在と予算面での改善に起因するところが大きいと思われる。なぜもっと早く取り組まなかったのかとも感じるが、そこが日本らしさなのかもしれない。あまりガツガツとメダル至上主義に走ることが憚られたのであろう。しかし結局はスポーツ全体を底上げし、ひいては国民健康、国力回復に結びつけていきたいのであろうか。目標がやや霞んでいるような気もするし、道のりは遠いとも思ってしまう。一国民として感動をもらう側にとってはいいことばかりで何の文句も付けようがないが、当事者のアスリートの大部分は、やはりスポーツだけではいずれにしても生活は困難だと思うし、それをわかっていても挑戦する姿勢には頭が下がる。いろいろと考えているうちに何となくオリンピックを取り巻く環境ってなんだかよくわからなくなってきたりもする。
 また、今回も審判・判定の問題や期間中の政治的な活動の問題が出てきてしまった。感動と勝ち負けは表裏一体の側面があるので、人間に感情がある以上は無くならない問題である。しかし、五輪の精神からすれば、特に政治的行動は厳に慎むべきで、それを行う国民は民族として参加資格があるのかどうか甚だ疑問である。過去の問題は元に戻せない。いつまでも根に持つのではなく、将来に向かい建設的な行動をとることが成熟した国家の在り方だと思うのだが。
4年後はリオデジャネイロである。さて、その時の自分がどのような立ち位置で五輪を見ているのであろうか。

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