2011年2月12日土曜日

中学1年生



いよいよ中学時代に突入。小学1年の思い出記録が昨年の2月6日になっているから、ちょうど1年になる。今年は中学時代回顧が中心になるかな。さて、附属中学は小学校からのエスカレータ式だったので、特に受験の感覚はなかったが、一応、試験はあった。体育も含めて全教科あったんじゃないのかな。入学式は集合写真でかろうじて薄い印象が残っているが、体育館もグランドも小学校に比べ広いなあと思った記憶がある。クラスは1組。当時は1学年5クラスで1クラス42人前後、さらにそのうち1クラスは男組といわれる男子クラス。1組はその男組であった。担任は保健体育のN先生と英語のK先生。担任が2人というのも新鮮だったし、2人とも個性的な先生であった。特にN先生は快活で生徒の人気も高かった(K先生ごめんね)。初めてクラスのメンバー全員が教室に集合して学活がおこなわれ、そこで学級委員の指名があった。委員長は附属外のK君で私が副委員長。びっくりしたとか嬉しかったとかいう記憶はあまりない。ごく自然に、”あ、そーなのか”、”K君はどんなやつなんだろう”という程度だった。そのごK君とは3年間部活が一緒で、かれはそこでもその後キャプテンを務めた。かく言う自分は実は1学期の中ごろに麻疹に罹患する。年長での罹患であったため、結構重症で、おそらく2週間くらい学校を休んだと思う。これまでの人生で幼少期の虫垂炎に次ぐ重症疾患である。そのせいもあって、1学期の成績は全くふるわず、両親もかなり心配したようだったが、N先生からもこれはしかたのないことで、徐々に取り返していけるはず、と言われたのが妙に心の支えになった。多分今でもそうであるが、褒められたり励まされたり、あるいは逆に叱責されたりすると、必要以上に影響受けるというか、感受性が高いのはこの頃からあったようである。その後はその通りで自分のペースをつかんでもりかえして行けたのではないかと思っている。部活はサッカー部で、これに関しては別にまとめて書こう。そのほか中1でのイベントは遠行訓練と遠足(というか、写真が残っているので覚えている)。それから、当時は必修の文科系クラブというのがあった。迷わず天文クラブにはいったが、これも別記にしよう。やはり、附属外から入ってきた連中は少し違った感じがあったし、それなりにできる子が多かったように思うし、どちらかと言うと良い刺激を受けたようである。とにかく授業と、部活これで生活が回りはじめた。

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