2010年11月7日日曜日

6年生の思い出



久しぶりに思い出シリーズ。今回はいよいよ6年生。この頃になると、さすがに覚えていることが多くなってくる。担任はK野先生。専門は理科。実は今でも定期的にお会いする機会がある(以前別ブログで書いたかな)。授業の思い出はやはり校外学習で、2回にわたる化石さがしの学習は思い出深い。1回目は長与地区(これも少し以前触れたと思う)。現在では当時の岩石が積もっていた場所は確認できない。2回目は茂木地区。ここは県の天然記念物に指定されているようである。今思えば、結構challengerだったかもしれない。いずれの時も小さな化石をゲットして大変嬉しかった記憶がある。ちなみに、この6年1組のモットーは”追求の心”であった。あと、6年生ではようやくサッカーで小体連に出場した。フォワードのエースで、結構活躍した。当然優勝した。ちなみにサッカーの指導教官は6年2組の担任のY富先生。この先生とも実は定期的にお会いしている。この頃は友人のK吉とY見と良く遊んだ。K吉の家の裏山によく基地作りをしたなあ。今でもどんな感じか思い出せる。K吉は今やJ隊の大幹部である。修学旅行は熊本。子供心によくありがちだが、バスガイドさんがメガネっ子で好みだった。それからやはりK吉たちと自転車で西山越えしたのもこの年だった。当時まだ車は少ないとはいえ、良くやったものである。連合音楽会なるものに出場したのもこの年じゃなかったかな。歌の題名は思い出せないが、残念ながら入賞はしなかったように記憶している。もうひとつ覚えているのは東京標準テストの夏合宿で1週間ほどえびの高原に行ったこと。生まれて初めて親元離れて3日以上知らない人々と一緒に過ごした。よく自分から行くと言ったものである。人生初めてのホームシックなのだろう、決して楽しくない毎日だった。1つだけの救いは、部外者参加だったので、最初は最低のCクラススタートだったのだが、後半の試験の結果、Bクラス上位にランクされる実力があることが証明されたこと。そして、まだまだ知らない世界があることを身をもって体験したことはその後の進路に影響を与えることになったと思っている。なぜか合宿に来てた福岡出身の”キッタカ”君の名前が記憶に残る。とにかく、いろんな意味で波乱に富んだ1年だったと思う。写真は階段の踊り場と3階の廊下から当時の6年生の教室を望むショット。

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