2014年4月20日日曜日

久留米初さるく

赴任後約3週間が経過した。ようやくなんとか気持ち的には落ち着いてきた感じだが、果たして今からが本当の意味での始まりである。と言いながら今週は学会出張もあり、やはり本格的には連休明けになるのか。その一方で、やはり少しずつでも具体的な構想を練り続けねばならんだろう。想像するだけで関門が多い。

さて、ようやく久留米の初さるくである。意外にいろんなみどころがありそうで期待したい。本日はあさから小雨模様であったが、次第に明るくなり午後からは晴れ間ものぞいて絶好のさるく日和となった。少し早目の昼食を久留米ちゃんぽんセンター本店にて。これも初久留米ちゃんぽんであった。どちらかというとお富さんちゃんぽんに似ているがスープは塩味やや強めの標準的部類。野菜は多めだがシーフードなし。650円也で総合評価85点か。



その後水天宮にお参りした。ここもいろいろあり、境内の裏はすぐに千歳川(筑後川の別名)で眺めがよい。狛犬をなでてきたが、この形は以前雲仙神社で見たものにそっくりであった。何か由来があるのか興味深いところである。




いったん帰宅後寺町界隈をさるいた。高山彦九郎の墓があるとは知らなかった。また、住まいのすぐ近くに田中久重(江戸時代のからくり師)生誕の地があった。これもびっくり。なかなかのものである。またいろいろとさるいてみたい。




2014年3月29日土曜日

さあ、出発だ!

いよいよ始動である。3月29日午前7時。まずは新任地へ向けて出発へ。雨模様であるが、逆に印象深く感じる。いろんな不安を洗い流して、さあ、行こう!

2014年3月12日水曜日

筑紫平野

何年ぶりであろうか、実に久しぶりに高良山に登った。写真は高良大社社務所裏の展望台からの眺めである。今後この風景をどんな気持ちで何度眺めることになるであろうか。教室
発展の願いを込めて参拝した。和をもって前進していきたい。


2014年2月27日木曜日

五十にして天命を知る

少し時間がずれたが、今回は筆をしたためねばならんだろう。
いよいよ50歳の大台である。そして今回の誕生日はまた特別なものになった。何か見えない力が働いていたのかもしれない。思い起こせば2年半前の出来事が始まりだったのだろうか。その年は6月に高校卒後30周年同窓会が開かれ、思いを新たにしたところであったのだが、その流れで10月に取り壊し直前の母校校舎を見に行ったことはブログにも書いた。なんとその時に校舎の中で大声でつぶやいた言葉が現実になった。自身この現実を想定していたわけでは全くなく、その時はただ、今後50歳を迎えていくに当たり、そこまでに残された3年弱の時間をどんな形であれ自分の納得いくものにしたいという一念であったと思う。そこに加えて今回の周りの皆さんからの後押しと力添え。いかに人と人との関係が重要であるかも思い知った。
この年から人生が変わる。それも大きく。責任は重大であり、あるのは不安と緊張ばかりである。五十にして天命を知ったのかもしれない。当分はいろいろと大変なことは十分にわかっている。これまで積み上げてきた自分の力を信じて少しずつでいいから確実に前に進んでいきたい。ここからが本番である。

写真はこの5年間お世話になった大学オフィス。関わってくれたすべての皆さんとモノ、時間等々、いろいろと本当にありがとう。

2014年2月1日土曜日

ななつ星

今回ようやく、”ななつ星”を生で見ることが出来た。長崎には毎週土曜日にやってくる。見たのは長崎駅発6時で約その5分後の大橋付近を通過する際のもの。残念ながらカメラの性能が悪く、流れてしまったが、なんとなく紫色の車体の感じが遠目に見える。今度は違う角度でもっと明るい時に見てみたい。

2014年1月26日日曜日

San Diego ②

San Diego第2弾

あちこちにあるDogi Pot。こんなのおいてくれたらありがたいなあ。

こちらは押し並べてやはり気候がよい。きれいな朝焼け。


3日目の夕食はさすがに良いものをと思い、結局Ruth Chrisに行った。相変わらずRib eyeは旨い。

空母ミッドウェー、でかい。

またもや定番シリーズ。Diet Dr. PepperとReeses。甘すぎる。


2014年1月21日火曜日

San Diego ①

今回はAACR関連meetingに単純に勉強するために参加。meetingそのものはなかなか充実するも一部食傷気味で88点か。期間中のサンディエゴの風景をアップ。まずは線路もの。

宿泊ホテルからのながめ。真ん中に見える赤いのが下図のトロリー。

思わずパスを購入してしまった。7ドル。

グリーンラインに乗ってSanta Fe駅で下車。25年前はロサンゼルスからここまでAmtrackに乗ってきたかと思うと懐かしい。そのAmtrackの車両も映っている。でかい。


2014年1月12日日曜日

迷い犬騒動

これはさすがに書きとめておかなくてはならんだろう。新年も明けてまだ間もない1月2日夕方、我が家の一員であるティンク(トイ・プードル、♀7歳)が行方不明になった。我々が預け先のペットショップから連絡を受けたのが2日の22時半。家内が金切り声をあげて入浴を済ませたばかりで脱衣所にいる私のところへ駆け込んできた。「ティンちゃんがいなくなった!」すでに涙声である。一点の迷いもない。1分で出動準備をして車に乗り込み3人で出発した。要点はこうである。実は夕方16時過ぎにすでに事案は発生していた。何者か(最近矢上地区で駐車中の車のドアを開放して回る不審人物がいるという情報を後日聞いたが定かではない)がショップの二重扉をあけっぱなしにしたため4-5匹の犬が店外にでてしまった。その時点で店員は気付いていない。犬を見た近所の人が教えてくれてはじめて認識したようである。ほどなくしてほとんどの犬が確保されたのであるが、一番遠方にいたティンクが置き去りにされた。のちに聞くと、名前を呼び掛けたけどそのまま角を曲がって消えてしまったとのこと。しかし、その時点で最大級の捜索態勢を投入すべきであるのだが、残念ながらそれは叶っていない。おそらくそのうち帰ってくるだろうと高をくくっていたことが予想される。それ故、我々への最初の連絡が事案発生後5時間以上過ぎてからになったのであろう。リスクマネージメントの感覚が完全に欠落している。我々は二手に分かれて午前3時ごろまで捜索するも発見できず。おそらく暗く気温も下がり一か所にじっとしているか誰かに確保されたか、あるいは想像もしたくなかったけど車にやられたかのいずれかであろう。その時点で捜索は一時打ち切った。翌日家内と娘はポスターを作って関連施設に掲示をお願いし、近辺に在住の知り合いという知り合いに情報提供をお願いして回った。しかしさらに捜索を続けるも情報すらなし。最後の目撃情報は昨日16時半ごろの矢上郵便局付近というものだけであった。残念ながらその日も日が暮れた。この日私は島原勤務で22時半終了後いてもたってもおられず、帰りに矢上周辺を車で1時間余り捜索するもやはり不発であった。ティンクにとっては2回目の夜である。寒かろう怖かろう、ひもじかろう。胸が締め付けられる思いである。家族皆元気が出ない。家内と娘は落ち込みまくっている。かける言葉もなかなか見つからない。自分もこんなに寝付けない夜は実に久しぶりである。明けて再び捜査開始するにあたり、落ち着いて対策を確認した。警察署には初日に届出している。正月で閉じている市の動物管理センターにはこの日の朝からメールを送付した。ツイッターでもつぶやいた。いろいろ考えると、どうしてもショップ側の対応が不十分過ぎると思わざるをえない。なにせ社長は1回も顔を出さないのである。別店舗の立ち上げで多忙ということが理由らしいが、いかがなものか。一方親族・友人からいろんな助言もあり、探偵を雇うことに決した。とりあえず電話して状況を聴くとやはり我々の対応は不十分過ぎるとのこと。ただ、小型犬の死骸の確認報告はないことから体力的に半径500m~1kにおそらくいるはずとの探偵のコメント。これは本格的にお願いするしかないと思ったその直後であった、矢上の動物病院からティンクらしき犬を保護したとの連絡あり。とりあえず妻と娘が確認に向かった(私はその日もあろうことか勤務。ソフト面で後方支援に徹していた)。するとそこにいたのは紛れもない、われらのティンクであった!生きていてくれた!それにまあまあ元気である。失踪より約40時間後の保護であった。話によると、正月も4日となり、なんとなく畑の草刈りでもしようとやってきたおじさんの耳に草むらの向こうから「わん!!」という声が飛び込んできた。おやおや犬がいるのかい、と覗いてみると、畑の向こう側にある約1メートルの高さの溝の中、それも雑草の生い茂るかなり奥に茶色い犬がいるではないか!おじさんは近くに住む夫婦が飼っている犬かと思い、その夫婦に連絡、おやつで誘ってなんとか保護していただいた。どうやらよそ様の犬だよ、洋服着てるし首輪なんかきれいだし、きっと飼い主さん心配しまくってますよ、との判断。なんと理解があり心温かい方々であろうか。水とおやつを与えていただき、先の動物病院に連れて行ったところ迷い犬の捜索願が出ていることからティンクと判明したのであった。とにかく助かった。生きていてくれた。胸のつかえがとれるとはこのことであると確信した。後日、発見された現場を確認させてもらったところ、かなり山の上であり、半径500メートルどころか2,3キロあった。うずくまっていた場所も人目に付く可能性はほぼゼロ。本当に偶然に草刈りに来ていただかなければ、またその時ティンクが吠えなければ、見つかることは決してなかったと思う。ほぼ奇跡である。あらためて保護していただいた皆さん、心配していただいた皆さん、いろいろと助言をいただいたり相談に乗っていただいた皆さんとそしてティンクの生命力に感謝である。

発見場所(畑)の遠景。当時はまだ草刈り前で草ぼうぼう。

畑の切れ目のさらに奥。↑の写真でいうと右上奥にあたる。この下1メートルほどにある溝の中にうずくまっていた。

発見・保護後シャンプー、カットしてもらい帰宅した本人。まだどことなく元気がない。

2014年1月4日土曜日

2013年の読書総まとめ!

読んだ本:72冊 ページ数:18077ページ 1370ナイス

2013年12月の読書メーター

10月以降なかなか時間作れずペースダウンが持続。
2013年12月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:1179ページ
ナイス数:55ナイス

明治医事往来 (講談社学術文庫)明治医事往来 (講談社学術文庫)感想
せっかく面白かったのに、半分ほどまで読んだところで飛行機の座席ポケットに置き忘れてきてしまった(^_^;)。ビゴーの絵をもっと見たかったのになあ。なんとか図書館で探してみよう。しかし、梅毒の嵐に関してはわが国も中世ヨーロッパに負けてないようである。
読了日:12月19日 著者:立川昭二
<完本>初ものがたり (PHP文芸文庫)<完本>初ものがたり (PHP文芸文庫)感想
新作3編と鰹千両を所望。新作3つはひねりがちょいと強めに効いた感じでしょうか。「寿の毒」の屋台での馳走には思わずこちらまで胸やけしてしまいました。さすがです。鰹千両は筋を知ってしまってたので初読時ほどのやられた感はなかったのがちょいと残念。
読了日:12月8日 著者:宮部みゆき
二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 (中公新書)二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動 (中公新書)感想
これほどまでの伏線、思惑の交錯があったとは本書を読んで初めて知った。やはり追記にある軍の根本義である命令・絶対服従という武士道が変質した(おそらく)精神背景があって起こった事件だとあらためて感じる。そして文書の意義やその文言の重みの存在も現代に通じるが、組織内での軋轢や様々な意味合いでの「閥」の力が今もって変わらないことも痛感する。結局人間は一体何を求めて行動するのだろう?という根本的な疑問が厳然と残る。
読了日:12月1日 著者:高橋正衛

読書メーター

2014年1月1日水曜日

2014年 年頭所感

いよいよ3年計画の最終年度を迎えた。つまり、今年で50歳となる。半世紀である。これまでのいろんな思いが去来する。さあ、自分は目標とする立ち位置に到達できそうであろうか?その答えが今年出される。その結果の如何に関わらず、今後の人生に立ち向かっていかねばならない。重くもあるが、逆に何か吹っ切れそうな気持ちもある。とにかく、人事を尽くして天命を待つのみ。
さて、昨年度の自己採点を78点としたい。年頭に掲げた目標達成度としては約7割であろうか。それに指導と教育面、論文作成・指導でプラス8点としたい。ただし、決して満足できるものではない。気を引き締めつつ、歩を進めたいと思う。写真は今年の初日の出。ここまで美しいのはここ10数年で1番であろう。


カタルパの木 久し振りの投稿。この道は数十回と通っているはずなのであるが、気づいていなかった。カタルパの木、アメリカキササゲという北米由来の樹木である(木大角豆とも書くらしい、読めない)。初夏に開花するとある。今朝、久し振りに高良山に登ろうと車でいつものルートで参道下に向かう途中...