にわか家庭菜園として、これなら役に立つだろうという期待を込めて万能小ねぎ栽培に手を出してみた。種自体はしばらく前に買っていたのだが、適当な器が無く、なかなか手を出せていなかった。一応、プランターと腐葉土、肥料を調達していざ種まき。種は黒い芥子粒ほどの大きさで、本当にこれで大丈夫なのかいな?と思いつつ苗床を準備、5列に分けて種をパラパラと蒔いてみた。芽が出るまでは新聞紙で覆うと書いてあり、遮光?、湿度保持?何のために?と思いつつ袋裏面の説明にできるだけ忠実に従うしかない。たっぷり目に肥料と水をかけてその日は終了した。その後数日毎朝観察するに、特に変化なし。まあ、そうすぐには出てこんよね、と自分を納得させながら待つこと1週間、ついに発芽を確認した。何か小学校の時のアサガオの芽が出たときの喜びに似たものを感じて素直にうれしいものである。さあ、これからどう成長していくか、慎重にことを進めていこうではないか。
2021年7月31日土曜日
2021年5月2日日曜日
麦秋
2カ月振りくらいに高良山に登った。5月に登るのはさらに久し振りであろう。3月下旬から4月半ばの桜とツツジの開花でのひとしきりの賑やかさが一段落して落ち着きを取り戻した感がある。早朝だったので少し肌寒いくらいであったが、概ねいつものペースで登りきれたので何とか心肺機能は維持できているようだ。高良大社でいつものように参拝して展望台に向かった。筑後川沿いに広がる筑紫平野の風景が目に飛び込んでくる。まだ少しだけ早いが麦秋の感である。川向うは佐賀背振山麓方面から久留米がわは特に北野から田主丸方面にかけての筑後川沿いに黄緑色から一部黄色の麦畑が広がっている。5月中旬から6月ごろになると刈り入れが始まり、そのうち麦穂を燃やす煙があちこちで立ち上がる情景を見ることが出来る。私の好きな高良山からの眺めの一つである。高良大社を後にして下る道沿いの足元に小さめの白い花がたくさん落ちているのに気づいて上を見上げると、息をのんだ。まさに無数の白い花が満開である。なぜ登る時気づかなかったのか不思議であるが、おそらく桜に比べると花が小さめで、葉の下にやや隠れるようにして咲いているせいだろうか。しかしじっくり見ると見事である。さすがにすぐに調べてみたところ、どうやらエゴノキというらしい。詳細は割愛するが、昔から身近な落葉小高木のようである。気掛けてみると道沿いのあちこちに満開に近い木が見受けられる。5月は新緑の季節でどちらかというと緑の勢いに圧倒されてこういった清楚な花は見過ごされるのかもしれない。今日認識することが出来て良かったと思う。その他にも低木の白い花でセッコウボク、ノイバラも見つけることが出来た。日頃の喧騒とコロナストレスを少しだけ和らげることが出来た。
カタルパの木 久し振りの投稿。この道は数十回と通っているはずなのであるが、気づいていなかった。カタルパの木、アメリカキササゲという北米由来の樹木である(木大角豆とも書くらしい、読めない)。初夏に開花するとある。今朝、久し振りに高良山に登ろうと車でいつものルートで参道下に向かう途中...
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写真は大浦のボウリング発祥の地のモニュメント。ここにあったのは知らなかった。あらためて撮影。昭和40年代後半から50年代前半にかけたボウリング全盛時代には市内に合計4か所のボウリング場があった。ゴールデンボウル(家野町)、ラッキーボウル(大橋町)、72ボウル(宝町)、そしてスポ...
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とても天気がよかったので久しぶりに近所の散策に出かけた。いつも車で近くは通っているのだけど、やはり歩いてみるといろんな細かいことに気付く。その中で今回はちょっとショッキングなことになってた。あの永井学生センターがとうとう取り壊されて平地になってしまっていたのだ。たぶん駐車場...
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前回豆腐の話を書いたとき、玄海嵐が出てきたので、つい九大時代の食生活について書きたくなった。時は1991年。まだ日本がいろんな事に前向きで元気のあったころ(というか、バブルか)。当然まだ独身であったので、ラボの学生や企業から来ていた同年代の研究生なんかとよく食事に出かけた。この...